「走る」「筋トレ」は楽しいと考える
「走る」「筋トレ」などの運動をできる・できないと考えるときに、こんなふうにイメージをしませんか?
・「できる」→良い・楽しい・幸せ
・「できない」→悪い・つまらない・不幸せ
走る運動で、走れるのにも関わらず「足が遅いからできない」「持久力が続かないからできない」。
また筋トレでは、「スクワットの回数が20回目標で15回までしか続かなかった」。
このように全部を、否定してしまうところがあるのではないでしょうか。
そうではなく、「足が遅いがスタートの反応が良い」「持久力は他の人よりもないけれど、いつも先立って先頭で走る積極性がある」。
「スクワットの回数は達成できないが、フォームは相手よりもきれいだと褒められる」など、細かいところに意識を向けて、自分はできると思うことが大事です。
このように、小さなできている部分に意識を向けておくと、仕事や日常生活のことでも、自分はできている成長していると、実感することができます。
できるまでのプロセスや小さな変化・成長に価値を感じることが大事なのです。
人生には未知のこと未体験のことが多く、人はできることよりできないことの方がはるかに多いのです。
そして、「できなくて当たり前。とりあえずやって、少しずつ成長していけばいい」と考えると気が楽になりませんか?
「人の行動は怯えに基づいている」と、私自身も感じます。
「できなくて人からバカにされるのではないか?」と、ついついやる前からマイナスイメージで考えてしまいます。
そんな自分もまず受け入れる。受け入れるとなんだか気が楽になって、物事が進むこともあります。
人はそんなに強くないし、行動もできない。物事も中途半端で終えることも多い。
いいじゃないですか。そんな自分でも。それを少しずつ、改善していけば。
そう思うと、「走る」「筋トレ」することも、「やってみようかな」と、少しは思いませんか?
関連する投稿
- 「運動で上手くいく」。自分に許可をする
- へこむ自分。運動で立ち直る
- 仕事で疲れた。「もうひと踏ん張り」で運動を行う。人生が変わる
- 運動が続く人のメンタルはどうなっている?
- 大人になって、何のために運動をするのか?
現在の記事: 「走る」「筋トレ」は楽しいと考える