プロフィール

 


代表プロフィール

 

 

かけっこで自信を取り戻す 専門家
 

かけっこ伝道師

 
 

櫻井 誠一郎 (さくらい せいいちろう)

 

1981年8月18日生まれ大阪市出身
日本体育大学 体育学部 スポーツ科学コース 卒業

 
 

13歳~28歳(1994~2009年)までの15年間陸上競技を続けていた。
種目は短距離走の100m。大学卒業後も現役アスリートとして、アルバイト生活をおくりながら競技に専念していた。

 
 

一度25歳の時に就職した。仕事は人材派遣の営業職。
毎日、営業電話をすることに意味を見出せずにモヤモヤとする日々を送っていた。仕事が忙しくなるにつれて、陸上競技から遠ざかっていた日々が多くなり、「自分の人生このままでいいのだろうか?」と考えるようになった。

 
 

しかし、夢を諦めずに27歳の時に仕事を辞めた。「結果がでるかわからない。しかし、人生を後悔したくない」と思い、1年間だけ陸上競技、1本に専念する決意をした。
その後、1年後に思うような結果が出ずに競技を引退する。
当時を振り返ると、「まだ競技を続けたかった」心残りがあったが、仕事を辞めて競技に打ち込んだことに後悔はしていない。

 
 

その理由は、この1年間は本当に充実した日々を送ることができたから。
何の制約もなく、ひたすらに陸上のトレーニングに打ち込むことができたから。
朝は、陸上のトレーニングとウエイトトレーニング。夜は、社会人のクラブチームでのトレーニング。

 
 

1日に3回トレーニングを行っていた時もあり、精神的・肉体的にも最高のコンディションの状態だった。
人生で一番充実していた日々を送り、自分の大好きな陸上競技ができ楽しかった。

 
 

その後、競技を引退してから目標を見失い、仕事を転々とする日々が続いた。
生活のために働くことがすごく苦痛で、働くことが嫌で仕方がなかった。
この時期は、自分に甘えていた。

 
 

その後気持ちを立て直し、再び正社員で働き出す。働き出してから辞めたくなることもあったが、踏みとどまることができた。
それは、本屋で偶然目に入った本があった。
そこには、「自分の好きなことをしよう。自分の好きなことを仕事にしよう」という本に出逢い、自分の好きな陸上競技にもう一度挑戦し、自分の人生に輝きを取り戻した。

 
 

今度は、人に教える・走る楽しさを伝えるコンセプトに「オトナかけっこ教室」を自分で創った。定期的に「オトナかけっこ教室」を開催するようになり、個別のマンツーマンレッスンもサポートを行っている。
かけっこの楽しさや速く走れるサポートに加え、クライアントの体を鍛えることで、仕事や人生を楽しく過ごせる方法も伝授している。

 
 

書籍紹介

 
1冊目
 

 
 

電子書籍出版(2019年4月19日)
オンデマンド(ペーパーバック)(2019年5月28日)

 
2冊目
 


 
 

電子書籍出版(2020年7月3日)
オンデマンド(ペーパーバック)(2020年7月17日)

 
 

ここから先は、私の今までの人生という形で、幼少期から現在までのエピソードをお伝えしていきます。
お時間がある際に、お読みになって頂ければ幸いです。

 
 

このページの目次

  • 1.マイペースな幼少期を過ごす
  • 2.自信がなかった小学低学年
  • 3. 少しずつ自信がついた小学高学年
  • 4. 順調な中学時代
  • 5. 記録が伸び悩む高校時代
  • 6. 青春時代の大学生活
  • 7. 大学で人生の幅が広がる
  • 8. 好きなことで人生を送っている、大学の先生を尊敬する
  • 9. 働くが心は陸上
  • 10. 北京オリンピック。自分の好きな陸上に専念する
  • 11. 人生の師匠。金八先生との再会
  • 12. 転職を繰り返し、ニート生活を送る日々
  • 13. 働き出す。自信のない自分がいる
  • 14. 書店で偶然目にした本。人生が変わり始める
  • 15. 新たな目標「オトナかけっこ」。仕事ができるようになる
  • 16. 過去の自分と同じ悩みを持つ人を救いたい
  •  
     

    1.マイペースな幼少期。熱中するものができる

     

    1981年 大阪の病院でこの世に生を受けました。
    物心がついた頃からマイペースだったような気がします。幼稚園の頃からすでに、幼稚園に行きたくないと思っていたのです。
    それは、みんなと一緒にいろいろやることが苦手で苦痛であり、この時期に朝起きるのが辛かった思い出がありました。大人が会社に行きたくないという感覚と似ています。

     
     

    とにかく自分のペースで自分の好きなことをやる性格だったので、集団行動が苦手で、それは、今も変わらないような気がします。

     
     

    幼少期に初めに熱中したものが、戦隊者のヒーローでした。
    男の子は、戦隊者に憧れるのは定番かもしれません。その中でも、単体ヒーローが大好きで、シャイダー・スピルバン・メタルダーという名前のヒーローが好きだったのです。
    私たち世代のあなたは、懐かしい記憶が蘇ったのではないでしょうか?

     
     

    もう1つは、車にも興味があり父親の車の助手席に座っては、運転を見ていたり、車の構造部分を聞いて覚えていた記憶がありました。そして、あらゆる車の名前を暗記して、これには親も驚いていたと後になって知ったのです。
    この時期から興味があることは、すごく吸収し記憶することが大好きだったと思います。

     
     

    2.自信がなかった小学低学年

     

    小学校に入学し、学校にいくのがもっと嫌になったのです。
    一番の理由は、担任の先生に会いたくなかったからです。
    その理由は、勉強ができない自分に自信が持てずに、「先生からバカにされているのではないだろうか?」と、勝手に悪い想像をしていました。

     
     

    とりわけ別に先生から怒られた記憶はあまりないですが、居残りを頻繁にさせられたのを覚えています。
    この時に、子ども心に「自分は勉強ができない。ダメな奴」と自分で落ちこぼれだと思っていたのです。
    1人で帰宅時に「学校はつまらないところだな」と思いながら家に帰っていた記憶があります。

     
     

    しかし、友達とは何とかうまくやっていたとほうだと思います。休み時間が天国のような気がしていました。
    マイペースな自分でしたが、勉強が辛すぎて、休み時間は友達と、よく遊んでいた記憶がありました。
    この時期は何を生きがいして日々を送っていたと言うと、アニメの聖闘士星矢を見ることが、何よりも生きがいでした。

     
     

    毎週土曜日の夜に放送があったので、それを楽しみに嫌な学校に我慢して行っていたのです。
    ただ、友達とはうまくやっていけたのが、何よりも救いでした。
    授業中は、いつ自分が当てられるかビクビクしながら毎回授業を聞いており、本当に会社に行くのが嫌なサラリーマンの気分で、小学校に登校していた自分がいました。
    中にはこの文章を読んでいるあなたも、小学生時代にこのような経験をし、楽しくなかった記憶があるのではないでしょうか?

     
     

    3. 少しずつ自信がついた小学高学年

     

    高学年になると、学校が楽しいと思えるようになっていきました。
    「友達と会える」「友達と遊ぶ」これだけで学校に行く意味を見出し、他にも自分に自信を持つことができたからです。

     
     

    4年生からクラスで、かけっこで1番になれたことが大きかった。
    「かけっこで自分が1番。自分でもやればできる」と自信を持つことができ、体育の授業が好きになっていったのです。
    1つでも、得意なことができると学校に行くのがそれほど嫌じゃなくなることを知りました。
    相変わらず勉強の方は、ダメでしたが。

     
     

    高学年になると趣味の幅の広がり、漫画やテレビゲームなどにもハマり、学校で嫌なことがあっても、趣味のおかげで何とかやり過ごすことができたのです。
    趣味は大事だなと、つくづく実感しました。

     
     

    私が小学生時代に、「1つでも何か得意なことを見つけると自信がつく」ことを学び、それが「かけっこ」だったのです。
    そして何か趣味を持つと、勉強が辛く学校に行きたくないと思っても、何とかやり過ごすことができると知りました。

     
     

    4. 順調な中学時代

     

    中学校から本格的に陸上競技を始めました。過去を振り返ると、私が陸上競技に興味を持ったのは、幼少期ぐらいからでした。
    当時、1987年の世界陸上でアメリカのカール・ルイスそしてカナダのベン・ジョンソンを中心に、見ていた記憶がありました。

     
     

    当時アメリカのスーパースター「カール・ルイス」、そしてカナダの全身筋肉ムキムキの「ベン・ジョンソン」、このルイスVSジョンソンの100m対決を見て、この時から陸上競技(かけっこ)に、興味を持ち始めたきっかけです。
    まだこの時は、自分が陸上競技を始めるとは思っていなかったですが、それからオリンピックや世界陸上をテレビで見るようになっていったのです。

     
     

    話しは中学時代に戻り、陸上部に入部し順調にトレーニングをこなしながら、中学1年時に走り幅跳びに出場し、大阪で3位の成績を収めました。
    入部当初は、100mを中心にトレーニングを行っていましたが、短距離のトレーニングが辛かったので、秋頃から走り幅跳びに変更して、1ヶ月弱のトレーニングで大阪大会3位の成績を収めたことが自信につながったのです。

     
     

    そして、入部当初は体力もなくトレーニングで追い込むと、吐いたり全身に乳酸がたまり(疲労物質)、「二度と陸上のトレーニングなんかしたくない」と心に思いながらも、自分を信じて継続したおかげで、成果が出始め、努力すれば実ることを実感したのです。

     
     

    中学2年に上がり、100mも記録が順調に伸び、3年生を差し置いて学校で1番速くなりました。
    この時は、最高に気分がよく毎日学校に登校するのが楽しかったのです。
    同時に、同じ部員の仲間に「いつ追い抜かれるのか」「自分より速くなったら嫌だな」と内心ビクビクしながら不安でたまらなかったことも覚えています。

     
     

    陸上のことを語りだすと、もっと長く書けてしまいます。この辺で切り上げて高校時代に移ります。
    ちなみに中学時代の自己記録は100m、11秒60・走り幅跳び、6m18でした。

     
     

    5. 記録が伸び悩む高校時代

     

    実は高校で、陸上をやろうとは思っていなかったのです。
    中学時代に高校から3校程、推薦を頂きましたが全部断り公立の普通科を選んだのです。
    中学時代の練習がきつく、そしてライバルに「勝っては負けては」のくり返しが辛く、それに耐えるだけの精神力がなかったのです。
    当時、音楽にも興味があり高校ではバンドを組んで楽器をやろうと思っていたのです。実際には、それほど熱意はありませんでした。
    ただ、陸上から逃げていたのです。

     
     

    しかしある日、私のところに陸上部の勧誘が来て、何となく入ってしまったのです。当時を振り返ってみても、なぜ入ったのか思い出せませんが、これが私の陸上人生の始まりでした。
    そして、陸上部の顧問の先生が陸上競技を愛する人で、自然に私も陸上競技に本気になっていったのです。

     
     

    高校時代は、朝練に始まりお昼休みはグランド整備、放課後は練習と陸上漬けの毎日が始まったのです。
    高校1年時は、試合も順調に進んで大阪の大会ではそこそこの成績を収めることができましたが、高校2年から記録が伸び悩み、精神的にも肉体的にも辛かった時期でもありました。

     
     

    高校2年から、「自分の記録が伸びない原因は?」「筋肉の問題? 走り方・フォームの改善?」など相手に聞いたり、本を読んで陸上に関する勉強をするようになっていきました。
    中学時代に努力して成果が実った体験から、高校時代記録が伸び悩んでも、自暴自棄にならずに自分を信じてやり遂げることができたのです。

     
     

    もう1つ高校時代に、貴重な体験をしたことをお伝えしていきます。
    それは、陸上部の顧問の先生との対立でした。
    中学時代のトレーニングメニューで、記録が伸びていたのでそれが基準となりました。高校時代のトレーニングメニューでは記録が低迷し、私自身記録が低迷したのは、高校のトレーニングメニューが原因と決めつけていました。

     
     

    それが原因で、顧問の先生と頻繁にぶつかり合っていたのを覚えています。
    また、2年生からキャプテンを任され、キャプテンの立場もあり、先生からいろいろと指摘を受けていました。
    当時の記憶を振り返ると、こんな言葉を言われたのを思い出しました。

     
     

    「自分の練習だけやればいいんとちゃう。周りもしっかり見て、お前から言わなあかん(後輩の指導や間違いを注意すること)」と、よく言われていました。
    当時、頭で理解できても、相手の言い方と自分の未熟さで納得がいかなかったのです。
    今振り返ると感謝の気持ちでいっぱいです。

     
     

    高校3年でも記録が低迷し、5月の地区予選を勝ち進めることができないと、そこで最後になるのです。結果、予選敗退となり、ここで自分の競技生活は終わったと思い、焦燥感に駆られながら自宅に帰り、シャワーを浴びながら泣いていたのを覚えています。

     
     

    それから少し経ってから、陸上競技を諦めかけていた時に、走り幅跳び専門の同期に「7月に大阪体育大学のオープンキャンパスあるから一緒に行かへん?」と誘わたのをきっかけにもう一度陸上競技に挑戦する決意を決めたのです。
    大学内の陸上競技場に足を運び、トラック(競技場)に入った瞬間、「俺が目指すのはここや」と思い、来年の大学受験に向けて再び燃えたのです。

     
     

    大学受験は失敗に終わり、浪人することになりましたが、もう決意は決まっているので、そこで落ち込むことはなかったのです。
    高校卒業後は、体育専門の予備校に通うために東京に上京しました。

     
     

    寮生活を送りながら勉強と実技の試験対策を1年間みっちり行い、1年後見事に日本体育大学に入学することができました。
    スポーツエリートが多数いる大学に自分も受かり、少し誇らしい自分がいました。

     
     

    6. 青春時代の大学生活

     

    あなたにとっての青春時代はいつですか?

     

    私にとっては、特に大学時代だったと思います。
    大学時代も陸上部に所属し、部活に明け暮れる日々が続きました。
    陸上部のほとんどが推薦者で、高校時代にインターハイに出場経験者や優勝者も数多くいました。
    私は、自分の実力はそこまでのレベルに達していませんでしたが、トップアスリート一緒に同じ環境でトレーニングできることが、感謝とドキドキ・ワクワクでいっぱいで毎日部活に明け暮れていました。

     
     

    大学時代は、スポーツトレーニング科学関連の勉強を授業で多くを学び、それを自分独自の理論や考え方を取り入れて、自分の走り方や筋トレなどのトレーニングに実践に落とし込んで行っていました。
    相変わらず記録は低迷していましたが、陸上競技の奥深さに魅了されて諦めることなく日々、トトレーニングと勉強を続けていました。

     
     

    私が大学時代に学んだことの1つに、勉強をするとどれだけ自分が無知だったかを知ることができたのが大きかったのです。勉強をすればするほど、知らないことが出てきて、それを吸収するのがとても楽しい時期でもありました。
    初めて「勉強が楽しい」と感じたのが大学時代でした。

     
     
    授業がない時は、ひたすら競技場でトレーニングとトレーニングセンター(大学内のトレーニングジム)で自主トレーニングを行っていました。とにかく速く走れるためには、どうすればいいのか? 模索しながら日々鍛錬に励んでいました。
    それと図書館にもよく通っていました。陸上に関する勉強はもちろんのこと、トレーニング知識をひたすら身につけていました。

     
     

    7. 大学で人生の幅が広がる

     

    私は大学の授業中、教授たちの何気ない一言によく注目していました。
    ある授業で教授がこんなことを話していました。

     

    「学んだことの証は ただ1つで 何かが変わること 学ぶことは はじまることだ
    学ぶためには 学ぶ人とは はぐれないことだ」

     
    私は直感でピンときて、すぐにメモを取り、確かに教授が言った通りだと思いました。
    学ぶ人→コーチ(指導者)からはぐれないことだと当時は思い、そして、今ではビジネススクールの師匠からはぐれないことだと、この名言通りに実行しているのです。

     
     

    他にもたくさん良いことを言って頂き、授業の合間にボソッと言う「ひと言」、一見見落としそうな部分に「今後の人生に重要なヒントがあるのではないか?」、そう感じてから、教授たちの何気ないひと言に耳を傾けたのです。

     
     

    次は尊敬するお二人の、大学陸上部の指導者について、お伝えしていきます。
    私が学生時代、短距離総監督(当時 助教授 現在 教授)M先生にご指導して頂きました。
    少し「ちょい悪おやじ風」で、子どもっぽいところがある先生でした。
    とにかく自由気ままな感じがする先生であり、みんなから慕われており、よくモノマネもされていました。
    陸上競技に関する専門知識やコーチング指導など尊敬の眼差しで見ていたのです。

     
     

    もう1人の指導者は、大学3年時から短距離のアシスタントコーチとして就任してもらえたのです。
    Kコーチは、アメリカでコーチング学と現場で4年間程経験を積んでの帰国。中には100m9秒代の選手も指導していたとおっしゃっていました。

     
     

    Kコーチの短距離理論が、私の短距離理論の方向性が同じように感じたのでした。
    そして、レース展開・調整・技術・トレーニング方法、さらにはウエイトトレーニングの考え方も、従来のやり方と違いに衝撃を受けたのです。
    当時を振り返ると、将来的にはKコーチのような指導者になりたいと思っていました。

     
     

    このお二人のご指導のおかげで大学卒業後も、競技を続けようと思えたのです。
    なぜなら2人とも、陸上競技を仕事にしていたからです。M先生は卒業後、一旦陸上からはなれた仕事をしてから再び陸上に戻り、Kコーチは海外で経験を積んで日本でご活躍されているからでした。
    私も陸上競技を仕事にしたいと思いました。いや、正確には選手として続けたいと。

     
     

    8. 好きなことで人生を送っている、大学の先生を尊敬する

     

    私が日体大に来て良かったと思うことが、他にもありました。
    それは、授業で毎回特別ゲストとして、日体大の先生方が現役選手時代や指導者としての体験を語る授業がありました。
    その中で、当時1984年のロサンゼルスオリンピック、体操競技・吊り輪・個人総合で金メダリストの、具志堅幸司先生の現役時代の体験談を語って頂いたことがありました。

     
     

    現役時代、大学在学中にアキレス腱断裂、左足首骨折などの大ケガをして選手生命を絶たれかけたが、自分は諦めずにケガを完治させて復活を遂げた。また、オリンピック優勝までの過程の話しなどを、VTRと熱意のある言葉で、最後まで聞いていました。
    この時、「ほんまにこの大学に来て良かったわ!」と、心の底から感動し、今後の人生に良い影響を与えてもらえたのです。

     
     

    授業の終わりに感想文を提出し、自分の夢は「陸上競技100mでオリンピック優勝すること」と書いて提出しました。
    具志堅先生の目に留まり、その後の授業で私の名前を覚えて頂き、卒業まで何かとお世話になったのです。

     
     

    私はつくづく実感しました。
    大学の先生方は、本当に自分の好きなことを仕事にしている。好きな人生を歩んでいる人たちが多いなと実感したのです。
    自分の好きなことを仕事にしている・自分の好きなことに打ち込んでいる。だから自分に自信があり、相手を魅了するのだと気づきました。

     
     

    また大学時代の話しはこの辺で切り上げます。大学卒業後は、進路が未定のままでした。
    一応、大学院の受験をしましたが、不合格に終わりました。
    そんなに落ち込んではいませんでした。

     
     

    9. 働くが心は陸上

     

    大学卒業後は、「とりあえず生活するために働かないといけない」くらいの気持ちだったので、「絶対に就職しなければ」とは思わなかったのです。
    スポーツジムの求人をあたり数社面接に行き、家から徒歩15分程にあるスポーツジムで働くことになりました。
    働く基準は、陸上のトレーニング時間を確保できることを前提に決めていました。

     
     

    2年程スポーツジムで働いてから、知り合いのつてで人材派遣の営業職を紹介して頂き就職しました。
    この時面接を担当された課長に、陸上を中心にやっていきたい意志を伝えた上での採用でした。今思えば感謝しきれません。

     
     

    半年間は仕事を覚えるのに必死で、あまり練習ができずに不安の日々でした。しかし、慣れてくると仕事にも余裕が出て少し精神的に楽になったところから、陸上のトレーニングを本格的に再開したのです。

     
     

    残業が続いた日は、夜の10時から12時までトレーニングを行って、終電で帰宅、そこから食事やストレッチなどをして夜中の3時に就寝、翌朝6時に起床するという生活も送っていました。
    睡眠不足と体の疲労で仕事中よく居眠りをしていました。

     
     

    そして1年半以上が経過し、「このまま仕事を続けるべきか・競技に専念するべきか」気持ちがぐらついていた時期でもありました。

     
     

    10. 北京オリンピック。自分の好きな陸上に専念する

     

    仕事をしながら気持ちが不安定のまま毎日を過ごしていました。当時2008年北京オリンピックの時期でもあり、陸上競技男子100mを見ていました。
    1次予選・2次予選・準決勝とラウンドを上げるごとに、自分の気持ちも盛り上がりながら見ていたのです。

     
     

    そして100mの決勝に近づき、選手たちが試合前にスタート練習を行い、試合間近になるとユニフォーム姿になる一連の流れを見ており、私はこの一連の流れを見るのが好きなのです。
    自分もその場所にいるかのように見ており、選手たちは、何を思い考えて試合に臨むのだろうかと。

     
     

    そして間もなく試合が始まろうとしています。
    レーン紹介が始まり、1レーンから8レーンまで順番に紹介していくのですが、スプリンターはこの瞬間が、何とも言えない気持ちいい瞬間なのです。

     
     

    「選ばれし8人の中で最も速いスプリンターを決める。母国と自分の名前を呼ばれている時、多分いや絶対にアドレナリンが溢れ出ているだろう」
    私も経験がありますが(規模は小さい)みんなに注目されている中で自分の名前を呼ばれる、あの何とも言えぬ快感。それが気持ち良かったのです。

     
     

    それがオリンピックの決勝で、スタジアム9万人の中で注目されるとどういうものか。
    経験したかったし、今後私の「オトナかけっこ教室」でも、試合に出場して、その体験を味わってほしいと願っています。

     
     

    話しはそれてしまいましたが、レーン紹介の時に、「自分の夢はこの舞台に立ち優勝することだ」と再確認することができました。
    今思えば正直なところ、成功しないと頭の中でわかっていましたが、悪あがきがしたかったのです。

     
     

    大げさかもしれませんが、60歳や70歳になった時に、「あの時、陸上をもっとやっておけばな…」という後悔だけはしたくないと思ったのです。
    そして1年間だけと期間を決めて陸上競技に打ち込む決意を決め、会社の上司に退職届を出して辞めたのです。

     
     

    1年間と決めたので、貯金を崩しながらほとんど働かずに陸上1本に専念したのです。
    朝は陸上のトレーニングとトレーニングジムでウエイトトレーニング。夜は、社会人チームで仲間と陸上のトレーニング。
    トレーニング量も大学時代よりも多くこなし、精神的・肉体的にもピークでした。
    人生で一番充実していた時期で、毎日が楽しかった。

     
     

    「好きなことをただひたすらに 情熱を傾ければ 道は開ける」
    X JAPANのリーダーYOSHIKIさんが言った名言。この名言をモットーに頑張ることができたのです。
    それから順調に冬から春にかけてトレーニングを積んでいましたが、春先に大きなケガをしてしまったのです。

     
     

    春夏と同じ箇所(左脚ハムストリングス断裂(太ももの裏側) )を繰り返し、試合では思うような結果がでませんでした。
    それから、右足首アキレス腱通になり、歩くことも困難になり秋の最後の大会も出場することができず、今までの陸上競技1994年~2009年の16年間を、振り返りながら競技場をあとにしたのです。

     
     

    やりきった感と、「もうこれ以上自分を追い込まなくてもいいんだ」という気持ちで気が楽になったのです。(本当は、心の中はまだ諦めていない)
    それから半年近く、派遣で働きながら生活費を稼いでいました。

     
     

    11. 人生の師匠。金八先生との再会

     

    競技引退後の半年後に、また就職活動を始めたのですが、以前スポーツジムで働いていた時に、お客さんと知り合った方に連絡を取ったのです。
    その方は、学校の教師(当時は小学校の教頭先生)であり、教職以外にも幅広く仕事に携わり、塾開業・趣味のカメラの仕事、民間企業の事業再生と幅広く仕事をしている方です。
    ひと言で言うと、熱い人・情熱家であります。ドラマに出てくる3年B組金八先生みたいな方です。

     
     

    連絡を取ったのは3年振りで、電話で今度会う約束をしました。
    その方は、ブログを書いており、ブログに私のことを書いており、その一部にこう書かれていました。

     
     

    — 「今ブログを書いていると、携帯電話が鳴った。3年振りに昔通っていたスポーツジムのインストラクターがかけてきた。日体大時代から、社会人になっても陸上の夢を追い続けて、一段落しての電話。現実に生きるため、進路相談の時間を設けてほしいとのことだった。
    しかし、彼は陸上をまだ諦めていない。電話の声でわかる。自分らしく生きるには、自分が納得し、前に進むしかない。近々に会う約束を交わし、電話を切った ―(続く) 」 —

     
     

    見抜かれていました。まだ陸上を諦めていないことを。
    しかし、その矛盾した中でも、職務経歴書の書き方と面接対応をして頂いたのです。
    またある日のブログの一部にこう書かれていました。

     
     

    — 「迷いが表情に出ているが、目が輝いていた。『新たなスタートを切る時、連絡します』と元気良く、明るく握手して別れた。今回笑いが出る好青年に変わっていた。生きている間、陸上に関わっていたい。それも現役でいたい彼の気持ちも良くわかる。彼の陸上の競技科目は短距離走。短距離はスタートが大事」

     
     

    このブログの前半は、私が大学卒業後の競技人生と生き方、後半に先ほどの記事を書いており、そのブログを読んで、号泣したのを覚えています。
    そして、今もこの文章を書きながら、昔のことを思い出し少し泣きました。

     
     

    12. 転職を繰り返し、ニート生活を送る日々

     

    2010年1月頃から転職活動を始め、最初はハローワークに通いながら仕事を選んでいました。
    春先に何社か面接をしましたが、一向に内定をもらうことができませんでした。一応、職種は営業職を希望して面接を受けていました。

     
     

    ここでなぜ私は、スポーツ関係の仕事を受けなかったのか?

     

    それは、まだ陸上競技にこだわりを持っていたからです。まだ心の中で陸上を諦めていなかったかです。
    全く陸上と関わりのない、スポーツインストラクターなどの仕事を選ばなかったら、陸上のことを考えなくなるだろうと考えていたのです。

     
     

    いや正直に言うと、スポーツジムで働くなどをして、万が一、お客様で陸上選手や他のスポーツ選手、いわゆる現役アスリートを指導することになるのが嫌だったのです。
    「本当は、自分がアスリートとしてパーソナルトレーニングを受ける立場なんや。なんで、自分が相手に指導をせなあかんねん」などと、この頃は訳の分からない変なプライドをまだ持っていたのでした。

     
     

    それから1年ぐらい派遣で働きながら、のんびりしながら転職活動をしていました。
    何か現役生活を終えて燃え尽きた感じがあり、ただ生活するために仕事を選んでいたので、採用者に見抜かれていたと思われます。

     
     

    一度、2011年7月に仕事が決まり、果物を訪問販売する営業職でした。
    気合を入れて、新たなスタートを切る想いで働き始めましたが、その仕事をなんと1日で辞めてしまったのです。
    初日から、何か違和感を感じ取り、働き出してから数時間で嫌になりそのまま1日何とか無事終えることができましたが、翌朝仕事に行く気力がなく、そのまま無断欠勤で仕事を辞めてしまったのです。

     
     

    それからすぐに他の営業職を面接し、採用して頂きましたが、その仕事も一週間で辞めてしまい、結局は派遣に戻り絶望しながら毎日過ごすことになっていました。
    2012年の4月にもう一度、転職活動を行い採用して頂くのですが、これも10日程で辞めてしまい、嫌になっては転職を繰り返す、そんな生活を1年ほど続いたのです。

     
     

    ちょうどその頃、SNSの投稿を見ていました。中学から大学時代の友人がさまざまな投稿をしており、それを見ていたのです。
    「友人は結婚をし、子どもと旅行や日常のシーンを投稿」「仕事で成果を出している投稿」。
    31歳になった自分は仕事を辞めて、ダラダラしながら毎日ネットサーフィンしている自分。

     
     

    そして、親に転職活動をしていると言いながら、生活費を支援してもらっていた自分。
    本当に情けない自分が嫌で、毎日泣きながら枕を濡らしていたのです。
    当時を振り返り、過去の自分にアドバイスしてあげたい気持ちになりました。
    「大丈夫。数年後には、新たな目標を持ちイキイキとしながら毎日を過ごしている自分がいる」と。

     
     

    13. 働き出す。自信のない自分がいる

     

    毎日、家でダラダラ過ごしていると、少し心がスッキリする時がありました。そんな時に、「少し働いてみるかな」という気持ちになり、行動を起こそうとします。
    最初は、毎日働くことは精神的に参ってしまうので、1日1日の仕事を電話で登録会社にお願いして仕事をします。

     
     

    自分、「登録番号○○の櫻井です。明日お仕事ありますか?」
    相手、「はい。○○のお仕事があります。どうされますか?」
    自分、「はい。お願いします」
    このやりとりを半年間繰り返していました。最初は、一週間に1回。少し経つと週に2回から3回と働けるようになりました。

     
     

    そしてほぼ会社員と同じ日にちを働けるようになってから、転職活動を再開し、2013年の6月に就職が決まりました。
    「もう、絶対に途中で嫌になって突然辞めたりはしない!」と心に誓い、働き出したのです。

     
     

    仕事は物流業の仕事で、フォークリフトを使って荷物の運びや、手作業で倉庫のある商品を梱包する仕事など、いろいろとやりがいのある仕事で、気持ちを入れ替えて働きました。
    ビジネス書などを購入して、「リーダーになるためには」「効率良く仕事をこなすためには」など自分なりに勉強をしていました。

     
     

    最初は順調に仕事を覚え、職場の人間関係もそれなりに良く、上司からも評価されていたと思います。
    多少仕事がきつくても、人間関係が良好だと仕事が楽しいと感じることが分かりました。
    それから半年ほど過ぎてから、他の事業所で働いていた人が退職したので、そこに私が変わりに配属になりました。
    そこからまた、いろいろと悩み出したのです。

     
     

    職場の人からふと何気ない会話でこんなことを言われました。
    「櫻井くん、陸上をしていたのなら、スポーツ関係の仕事がいいんじゃないの?」と、何人かの人たちに言われ、頭の中で陸上のことを考えないようにしていた感情が、少しずつ動き出したのです。
    それから時々、スマホでスポーツジムの求人を見るようになったのです。
     
     

    「自分は、スポーツ関係の仕事をした方がいいのかな?」と、そこから一気に悩み出して仕事に対する意欲がなくなってしまったのです。
    仕事の意欲がなくなったので、当然仕事の成果も出なくなり、少しずつ職場の人たちとの関係が悪化していきました。
    何となく自分から距離を置いてしまい、必要最低限の会話しかしなくなりました。
    この時は自分が悪いことに気づかず、周りのせいにしていたのです。

     
     

    「こんな仕事を定年まで続けるのか」と考えるようになったのです。
    仕事の意識が高いと、効率良く仕事を覚え次々と仕事のレベルが上がり、例えつまらないと思っている地味な作業でも、後輩などに引き継ぐことができるのに、この時は視野が狭くなり目の前のことにしか頭が働かなかったのです。

     
     

    働き出してから1年程してから、また仕事に行くのが嫌になり、改札の前で何度も引き返そうと思ったことです。
    いや、何度か改札の前で立ち止まり、トイレで仕事に行くか行かないか悩んでいた日々もありました。

     
     

    あなたにも、こういった経験はありますか? 
    その時はとても辛く、何をやってもつまらないと感じませんか? 

     

    この時は、まさに私がそうでした。

     
     

    仕事を辞めはしませんが、何度か会社を休む日が続き、同僚・先輩・上司にもご迷惑をかけた時期もありました。
    複数の会社の中で上司が、私が会社を休みがちのときに心配して頂き、家までお越しになったこともありました。
    今回も同じように、そういう状況が続き、もう迷惑はかけられないと思い、仕事を辞めずに済みます。

     
     

    14. 書店で偶然目にした本。人生が変わり始める

     

    しかし、相変わらず仕事に対して意欲がなく、毎日苦痛の日々を送っていました。
    自分でも「このままじゃいけない」と分かっていても、どうすることもできなかったのです。
    一歩、行動を起こす勇気がなかったのです。(仕事を積極的に行う・職場の人たちとコミュニケーションをとるなど)

     
     

    そんなときに、書店で偶然目に留まった本があったのです。
    タイトルは忘れましたが、仕事が嫌になったときや、何もかも嫌になったときに読む本みたいなタイトルだったと思います。
    その本をざっと目を通して見ると、「自分の好きなことをしよう」「自分の好きな趣味をしよう」などと書かれていたと思います。

     
     

    「自分の趣味は、漫画・音楽・映画などかな」などと考えながら読んでいたと思います。
    本当は、自分の好きなことは陸上競技だと知っているのにもかかわらず。
    でも、あえて気づかないふりをしていました。
    それから同じような類似本を何冊か読んでいくうちに、今度は自分の好きな仕事をしようというキーワードにあたりました。

     
     

    「自分の好きな仕事は…スポーツインストラクター・パーソナルトレーナー」
    本当は陸上競技なのに、それでもまだあえて気づかないふりをしていました。
    さらに本を読み進めていくと、今度は「起業」というキーワードにたどり着きました。

     
     

    この「起業」に関する本を読み、「自分でも起業できるんじゃないかな」などと、何の根拠のない自信がありました。
    そして読み進めていくうちにこんなことが書いてあったのです。
    「現状が不満で現実逃避がしたくて起業すると失敗する」と書かれていました。
    私の心にグサッと刺さりました。しばらくは何もできなかったと思います。

     
     

    しばらくしてから、「今の会社が行くのが嫌。だから起業する」その感情を素直に受け入れることにしました。
    ほんの少しだけ気が楽になり、本やネットなどで「起業」に関連することについて調べていました。
    もちろん陸上競技で起業するといつの間にか決心していました。

     
     

    また書店で目に留まった本があったのです。
    「○○で△△する」(←著者の許可をとっていないので)という本のタイトルを目にしたとき、大げさですが心拍数が上がりました。
    「これや!自分の好きな陸上!」

    本の内容をほとんど読まずに、レジに向かったのです。

     
     

    楽しい未来が見え始めた瞬間でした。

     
     

    本を読んで、気分を上げて「いざ行動しよう」にも、まだ踏ん切りがつかない自分がいるのでした。
    それからしばらくしてから、ネットで起業セミナーなどを検索していると、事業計画の立て方・創業の仕方などをお伝えしている講師陣が多くいました。

     
     

    私からすると、どの講師の方たちも実績が素晴らしくどの方のセミナーを選べばいいのかわかりませんでした。
    そのままざっとプロフィールを眺めていると、ある1人の方のプロフィールに目に留まりました。

     
     

    その方のプロフィールには、他の方のプロフィールと違った印象があったのです。
    それは、「左遷」「降格」「パワハラ」「失業」など、一見マイナスなことを本音で書いていたのです。
    過去にどんな人生を歩み、どんな理由で仕事を失ったのかなど、その方の本音が見られた気がしました。
    私の心が動いた瞬間でした。
    「この人なら、変われるかも」と思ったのです。

     
     

    偶然にも「○○で△△する」本の著者と同じ人で、まさに運命であり、その方のセミナーを受け、その方の門をたたくことになったのです。

     
     

    15. 新たな目標「オトナかけっこ」。仕事ができるようになる

     

    そのコミュニティは、自分の好きな仕事を創るコンセプトに、仲間と共に切磋琢磨しながら、自分ブランドを創り上げていきます。
    私が、なぜこのビジネススクールの師匠・コミュニティの門を叩いたのかというと、「サラリーマンから働き方を変えていきたいと、考える人を応援するコミュニティだった」からです。

     
     

    「ここに行くと安心する」「自分事として仲間が親身になって考えてくれる」「具体的な一歩が踏み出せる」。
    さらに、「自分サイズの幸せをつかむ」という自分らしい「あり方」を重視する誠実なコミュニティだと感じたのです。

     
     

    そこで私は最初に、「陸上競技・短距離のトップアスリートを育てる」という仕事を創りたかったのです。
    仲間や師匠は、まず私の考えを受け入れるところから始まり、それに加えて「○○や△△などのアイデアもどうか」、そんな風に具体的に一歩ずつ踏み出していきました。
     
     

    そんな中、短距離から「かけっこ」という言葉に変えてみたのです。
    「かけっこ」の方が馴染みやすく、さらに子どもよりも大人にかけっこを走ってもらいたいと思い、「大人」より「オトナ」カタカナ表記の方が、とっつきやすいと思ったのです。

     
     

    「かけっこ」のトレーニングメニューも、遊び心を中心にただ走るだけでなく、「遊びの中での相手と競争する。また、基礎的なトレーニングも、遊び感覚でできるメニューを取り入れ、かつ速くなるためのトレーニングメニューである。楽しんで速くなる」
    そういうコンセプトを、実践をまじえながら創りあげていきました。

     
     

    私は、このコミュニティに参加してから、もう一度体を鍛え直したのです。
    筋トレや陸上短距離のトレーニング、もちろん現役時代のようなトレーニング強度や量をこなすことはできませんが、自分でできる範囲で継続するようになりました。
    そして、毎日ドキドキ・ワクワクしながら日々を過ごすことになっていきました。

     
     

    すると、今まで嫌だと思っていた仕事にも取り組めるようになりました。そして、仕事にも積極的に行うようになり、以前「櫻井さんは仕事ができない人」と言われていたのが、「○○の部署で一番仕事ができるのは櫻井さん」と、人づてで聞いたときは、本当に嬉しかったのを覚えています。

     
     

    何か仕事以外で目標を持つと、人は変われるのだと実感しました。

     
     

    16. 過去の自分と同じ悩みを持つ人を救いたい

     

    私がこのビジネススクールに入塾したのが2014年の11月頃。
    本格的に動き出したのは、2015年の3月頃からであり、その年の年末に初めて、「オトナかけっこ教室」を開催しました。
    それをきっかけに、定期的に開催するようになっていきました。
    さらには2018年に入ってから、マンツーマンレッスンの方も、サポートさせて頂けるようになっていきました。

     
     

    そこで私は、1つ悩みがあったのです。
    どんな人に「オトナかけっこ教室」を走ってもらいたいのか?

     

    もちろん、どなたでもご興味を持って頂ければご参加してもらいたいのですが、私自身が本当にお力になれる人はどんな方なのか?

     

    この悩みが、本格的に動き出してから2年以上かかりました。

     
     

    あるとき、私の中にふと落ちてきたものがありました。
    それは、「過去の自分と同じ悩みを持つ人を救いたい」と思ったのです。
    過去の自分とは、「仕事が嫌・つまらない・辞めたい」「職場の人間関係が良くない」などです。

     
     

    ・「かけっこを走る・運動をする」→ポジティブ思考・何とかなる
    ・「自分の成長を実感できる」→かけっこが速くなる・体つきが変わる
    ・「仲間ができる」→お互いに成長する・切磋琢磨する
    ・「かけっこ教室での成長が自信に変わる」→仕事・日常生活に自信を持って取り組める

     
     

    上記の内容は、私のホームページにある「日々のコラム(新着コラム)」「よく読まれるコラムランキング」ホームページ内のあらゆるページにお伝えしていますが、ここでもお伝えしたいことです。
    私自身が、トレーニングを積み重ねてきた体験からくるものです。

     
     

    これらを「かけっこ」を通して、あなたの人生のほんの一部分ですが、一緒にサポートしていきたいと願っています。

     
     

    現在私は、会社勤めで「オトナかけっこ教室」を開催しておりますが、ゆくゆくは「オトナかけっこ教室」に専念し、1人でも多くあなたのお力になれるように努めていきます。
    屋号は、RUN LIVELY(ラン ライブリー)。
    直訳すると、「活発に走る」となります。

     
     

    このLIVELYには、「生気あふれる」「元気で活発になる」「エネルギッシュな」「行動力がある」など、様々な意味があります。
    走ることで、あなたに元気で生気あふれる楽しい毎日を送ってほしいと願い、この屋号にしたのです。

     
     

    1日の大半が、仕事で時間を埋め尽くしています。
    その仕事が苦痛だと人生が辛くないですか?

     
     

    実際に走って、「何となく続けられそう」だと思ったら続けてもらい、「自分には合わないな」「途中でやめたくなった」と思ったら、やめても構わないのです。

     
     

    私は、「オトナかけっこ教室」を創って、「かけっこ教室」の仲間やビジネススクールの仲間のおかげで明るい日々を送れるようになりました。
    「未来が良くなると過去が変わる」ことを知りました。

     
     

    未来を良くすると、苦い過去も笑い話にできるくらいの大人になる方が、カッコいいと思いませんか?

     

    そういうあなたに、人は集まりついてくるのです。
    辛かった過去も、相手に堂々と言えるそんな大人になれると、ステキだと思います。

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